■日本の川の名前の由来

姉川 源流:滋賀県東北部伊吹山
由来:昔、伊吹山に半年間雨が降り続き、山の中腹の池には雨水がたまり今にも溢れんばかりとなった。このままでは水が里に流れ出して人家を飲み込んでしまう、と憂いた姉妹は、鉄砲水が山里を襲うのを防ぎたいと切に願った。それには川をつくって水を琵琶湖に注ぎ込ませるしかない。池のほとりにやってきた二人はしばらく神に祈りを捧げた後、池に飛び込んだ。その刹那、池周辺に黒雲がたちこめ、二人の姉妹は竜に姿を変えて池の堰を切って伊吹山を下り始めた。二匹の竜がたどったあとには二つの川が生まれ、琵琶湖に注ぎ込んだ。それ以来、姉の竜が作り出した川を姉川、妹竜の通った後にできた川を妹川と呼ぶようになった。ちなみに妹川は現在高時川の名で呼ばれている。
石狩川  源流:大雪山系石狩岳
由来:アイヌ語で「曲がりくねった川」を意味する「イ・シカラ・ペツ」。
アイヌ語で「大きな川」は「ペツ」、「小さな川」は「ナイ」
治水に関わった人物:
1857年 松浦武四郎(「北海道」の名付け親)
1869年 伊達邦直(伊達政宗の四男・宗泰を祖とする家系)
北上川 源流:岩手県岩手郡御堂の弓弭(ゆはず)の泉
由来:
@日本書紀に『武内宿禰、東国より還りまいてきて奏して言さく、東の夷(えびす)のなかに日高見国あり…』の記述中の日高見国が由来。日高見国はこの地方の事でそこを流れる川だから日高見川。それが「キタカミ」になり現在の字があてられた。
Aヒダは蝦夷の事で、ヒダが住んでいたから「ヒダカミガワ」と呼ばれそれが「キタカミガワ」になった。
備考:弓弭(ゆはず)の泉の誕生譚
1057年、源頼義、義家親子がこの地に兵を進めた際(前九年の役)、渇きにあえぐ兵のために義家が弓に矢をつがえ引き絞って放った。その矢が突き刺さった大地を弓で掘り返すと、こんこんと泉が湧き出した。
治水に関わった人物:
坂上田村麻呂
1605年 伊達政宗の命で白石宗直、川村孫兵衛
杭瀬川 由来:木の杭を川に並べて打ち込んで流れをせき止める方法を「杭瀬」という。
九頭竜川 源流:福井県と岐阜県の県境にある油坂峠
由来:
@889年、平泉寺の白山権現が衆徒の前に姿を現し、尊像を川に浮かべた。すると九つの頭を持つ竜が出現し、尊像をいただくようにして川を流れくだって黒竜大明神社の対岸に泳ぎ着いた
A天地創造の頃、国の四方にそれぞれの神々がいた(東:常陸の鹿島大明神、西:安芸の厳島大明神、南:紀伊の熊野大明神、北:越前の黒竜大明神)。この川は黒竜大明神の前を流れるので黒竜川と呼ばれ、転じて九頭竜川となった。
Bこの川はたびたび洪水を起こし、川岸を削り川の流れや姿を変えた(崩した)。そこで「崩川(くずれがわ)」と呼ばれるようになり、それがなまって九頭竜川になった。1480年の書物には「崩川」の名で記されている。
治水に関わった人物:
継体天皇(即位507年)
1602年 結城秀康の命で本多富正
球磨川 源流:熊本県球磨郡の銚子笠   
最上川、富士川と並ぶ日本三急流の一つ
由来:
@球磨郡から流れてきた川だから
A流域に多くの谷がある事から九萬の谷を持つ川「九萬川」と呼ばれ、それが球磨川になった。
備考:球磨は「熊襲」が語源ともいわれている。
熊襲は古事記、日本書紀に記述があり九州南部に勢力を誇っていた部族。勢力範囲が「熊」(現在の球磨郡)と「襲」(鹿児島県曽於郡)にかけてだった。ちなみに熊襲は景行天皇の命でヤマトタケルが討伐に赴いている。
治水に関わった人物:
1602年 加藤清正、忠弘親子
1755年 稲津弥右ヱ門
信濃川 日本最長の河川。
俗に「出世川」と呼ばれる川で長野県域では「千曲川」、新潟県からは「信濃川」と名を変えるのがその理由。
四万十川 源流:高知県高岡郡東津野村の不入(いらず)山
由来:
@上流部の支流「四万川」と「十川」の名の合体
Aアイヌ語で「たいへん美しい川」を意味する「シ・マムタ」から
Bアイヌ語で「砂礫が多いところ」と意味する「シマト」
1589年の書には「渡川」の記述あり。道を横切るような川は「渡って」歩を進める事になるから「渡川」と呼ばれるようになっただけ
多々良川 源流:福岡市の東に位置する犬鳴山
由来:砂鉄から鉄を精錬するときに炉に風を送り込む鞴(ふいご)を「たたら」といい、これが由来。
この技術は朝鮮半島の渡来人から伝わったもので、元々は中央アジアのタタール人が行っていた事から、たたらの語源はタタールにあると言われている
筑後川 源流:阿蘇外輪山  暴れ川の一つとされている
由来:江戸時代に川の名前を決める評定が行われた際、関係者として筑前と筑後の家老が集まった。老中は、筑前の家老に「川の名前はどうしたものか?」と尋ねた所、何故か筑前家老は自国の名を使わず「筑後川」と口走ってしまったのでその場で筑後川に決定された。
ちなみに江戸時代以前は「ちとせ(千歳、千年)川」「一夜川」「筑間川」と呼ばれており、
ちとせ川は千歳のあとまで絶える事のない命から、
一夜川は雨が降れば洪水が周辺の土地を呑みこみ、一夜にして姿を変えてしまう事から
筑間川は筑前、筑後の間を流れている事から、の推測がされている
治水に関わった人物
1602 田中吉正
千曲川 源流:秩父多摩国立公園の甲武信岳
由来:神話の時代、高天原の神々が激しく争った際、夥しい血が流され、それが川の様に流れた。「ちくま」は血があたり一面くまなく流れた事から「血隈」。慶長年間になってから「千曲」の字が使われる様になった。
手取川 源流:石川県の霊峰白山
由来:
@1183年、倶利伽羅峠(木曽義仲vs平維盛)の戦いで勝利を収めた義仲軍が凱旋の途中に手取川にさしかかった。しかし流れが凄まじく速かったため、急流に飲み込まれないよう兵たちは手に手を取って川を渡った。
A急流が度々氾濫し渡るのにひどく「手間取った」事から。
天竜川 源流:諏訪湖
由来:奈良時代には「麁玉(あらたま)川」、平安時代には「広瀬川」、鎌倉時代には「天の中川」と呼ばれており、天竜川になるのはその後。当初、「てんりゅう」ではなく「天流(あめのながれ)」と読まれており、天から降り注ぐ雨が諏訪湖に注ぎ込み、そこから川に流れ出るという意味からの命名。「天竜」の字が当てられるようになったのは、流れの速さが竜が天に昇るがごとくだったからとも、諏訪湖に近い諏訪大社に祀られる竜神にちなんで、とも言われている。
利根川 源流:群馬県大水上山  
利根川は坂東太郎の別名があり、暴れ川の長男と言われている(次男は筑後川、三男は吉野川)
由来:
@アイヌ語で大きな谷を意味する「トンナイ」
A源流近くに尖った峰が多くあり、「トガッタミネ」→「トネ」と簡略化された
B水源のある大水上山には漢字は違うが「トネ」と付く岳が多数ある事からそれを語源とするもの
治水に関わった人物
1590年 徳川家康の命で伊奈備前守忠次、榊原康政
長良川 源流:岐阜県郡上郡高鷺村の大日岳
日本を代表する清流
富士川 源流:南アルプスの鋸岳  日本三急流の一つ
治水に関わった人物
1542年 武田信玄
最上川 源流:山形県米沢市西吾妻山  日本三急流の一つ
由来:
@平安時代の書に「珍しい岩が多いところ」の意である「毛賀美」と記されている。流域に奇岩、珍岩が数多くみられたところから毛賀美川と呼ばれ、次第に「最上」に変わった
Aアイヌ語で「モガミ」は「静かな神」を意味する
(しかし日本三急流の一つと言われている川なので「静か」はおかしいと言われている)
Bアイヌ語で「切り立った崖」を「モモ」という。最上川流域にある最上峡は崖に挟まれた地で、その上流に広がる盆地は崖(モモ)の上(カミ)にあるから「モモカミ」と呼ばれており、そこから最上川になった。
治水に関わった人物
最上義光
吉野川 源流:高知県の高峰・瓶ヶ森山中の岩清水
由来:
@上流域が三好郡を貫いている事から「三好川」の名が生まれ、次第に「芳野川」→「吉野川」に転じた。江戸時代の書に「この大河は六都を経て海に入るゆえ郡名をもってすべからずといえど 源初三好郡よりして美馬、阿波以下におよぼす されば三好川と唱えしならんを みよしというより芳野と転しものならんかといえり」とある。
A川が運んだ土砂によってできた河口流域の大地は鬱蒼たる蘆におおわれていたため、人々が「蘆の川」と呼んだ。1835年の書に「この川昔渺茫(びょうぼう)と北山南山の間を流しが 川岸は蘆葦(よしあし)等をもて破れしより よしの川と唱えしを その名雅ならざるより いまの字に改めしといふ」とある。
治水に関わった人物
1585年 蜂須賀家政
淀川 由来:古事記には「鵜河」、日本書紀には「北の河」、難波古図には「山城川」「近江川」と書かれている。17世紀後半以降の書には「淀河」「澱川」の表記が見られる。ゆるやかな流れをもつこの川が「澱んでいる」ようにみえることから澱川になったなどの説がある。
治水に関わった人物
仁徳天皇
奈良時代 行基







参考文献:川の名前で読み解く日本史






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